なぞの転校生

http://www.youtube.com/watch?v=3JWtjeY0oTI:movie:H315:W630

■ドラマ24「なぞの転校生」



ドラマ「なぞの転校生」終わっちっゃっうぬょ!
ざんねんぬょー。ストーリーもそうだけど、映像も独特の詩情があるようで、なんだかいい感じだった。
これからは楽しみがまたひとつ減ってしまうんだぬゃー。
ところで詩情とはぬゃんだ。

それは、しずかに歌声にききいることに近いのではぬゃいかとぬゃーは思う。
あるいは、ひとり本のページを開いて活字をたどることにも似たような、こころの傾きではないか。

この「なぞの転校生」はSF作家、眉村 卓の小説を原作にしている。
そうして、たぶんぬゃーは、はるか昔に原作を読んだことがあるはずなのだ。
あるはず、というのもぬゃんだか心もとないのだけれど、小学生くらいのときに、学校の図書室から借りてきて読んでいるはずなのだ。
ただ、タイトルは覚えていても、中身はすっかり忘れていたんだぬゃー。
それでも、文庫本で「消滅の光輪」だとか「司政官 全短編」なんかが復刊されているのを見かけたり、
古書店で文庫本がならんでいるのをみかけては、買いこんで読みふけったりしていたのは、
そもそもすべての眉村小説の奥底にある、「詩情」に惹かれていた。
ーーということが言えるのではぬゃいのだろうか。


東京創元社 Webミステリーズ

眉村卓
    『司政官 全短編』あとがき[全文]
    『消滅の光輪』あとがき[全文]


そうぬゃのだ。
ばくぜんとぬゃーの読んできた眉村卓の作品を思い浮かべていくと、放浪、だとか、開放、という言葉が思い浮かぶ。
まあ、眉村 卓もたくさん作品を書いているので、たんにぬゃーが好きな作品の傾向なのかもしれないけれど。
何処から、何処へ、すでに故郷は遠く、行く先は当てがない。
主人公や、印象的な人物は、どこかさすらいの感覚を持って行動しているようだ。
つまりは常にあやふやな、移行期、過渡期の中にいる、という感覚だ。
そこで彼らが話す言葉は必然的に「問いかけ」になる。
しかし眉村作品の登場人物たちは、自分の出した「問い」を自分なりに解決しようとしていく。
どのようにするかといえば、最初の問いに対する反問、あるいは新たなる問いかけによって。
さすらう、といったところで、そうやって一歩一歩前に進む以外の進み方はない、というように。
彼らは、「問い」の中を生きることを選ぶ。「問い」を生き抜いていく。と言ってもいい。


■東京創元社 Webミステリーズ / 『司政官 全短編』あとがき より

 さらに私事になるのをお許し頂きたい。
 妻が亡くなって、五年余になる。発病・入院から勘定すると、十年余だ。
 今の私が、これまで書いてきたような司政官ものが書けるかと言われたら、少なくとも同じ形のものは無理と返事をしなければなるまい。
 妻の病気の間、一日に一本短い話を書きながら、私は世間と隔絶された感覚の中にあった。世の流れに関心がなく毎日を生きていたと言っていい。妻が亡くなって気がついたのは、自分が過去からやって来て現代にいる――いわば未来滞在者になっていた、ということである。要するに、老人になったのだ。そして今の私には、新しく、書きたいものが生まれてきた。


そもそも、眉村卓という作家は、たとえ注文に追われ、どんな娯楽小説を書いていたとしても、
その一編、一編に、作者自身の、その運命を暗示してしまうような文章を書き付けてしまう。
作品が己の宿命の暗示である。
そんな作品をうっかり書き続けてきたのではないか。
そういう作家はめったにいない。

そうぬゃのだ。
だから、いまはただ「問い」を生き抜く者たちの歌をきけ、
その声ににそっと耳をすませて。



……ところで、かなりひさしぶりの更新なのに、
ボカロのこと全く触れてぬゃいという……。
あっ
そういえば cillia さん古川本舗の「魔法」カバーしてたぬゃー。



■【結月ゆかり】魔法【カバー】

http://www.nicovideo.jp/watch/sm23215628:movie:H315:W630